けんちょびんのブログ

高校生の日常。趣味:読書、サッカー

シッターかブリ

「中途半端に知ってること事ほどよく知ってると言いたくなる。本当によく知ってる事は、その奥深さや難しさが分かるから、知らない振りをするよ。」ー清水翔太

 

うわさ話とかが、色んな人に広まっていくのはこういうことだよね。知らないのに、知った気になって色んな人に話しちゃって、どんどんうわさ話の内容も変わっていく(悪い方向へ)。それで傷つく人がいるのに、広めた当人は原因が自分にあるとは気づかないんだろうね。だから、もっとあと先を考えて、自分の言葉に責任を持たなきゃダメだと思うね。

クラス費10万円やで…

 ついこの間、文化祭があった。僕の学校の文化祭は、各クラス約10万円を作業費としてそれぞれのクラスがオリジナルなモノを作り上げる。そんなこともあってか例年3,000人近くの人が学校を訪れ、大いに盛り上がる。

 僕は、この文化祭で実行委員を務め、文化祭の運営に携わり、たくさんのことを学んだ。教師間の人間関係、運営の仕方、クラスのみんなの優しさなどその他もろもろ…

 夏休み前頃から少しずつ活動が始まり、なかなか実感がわかない中で、徐々に仕事が増えていった。自分は、運動部に所属しているため部活動に行くか実行委員の仕事をするかで、クラス活動にはあまり参加できず、その点が悩みの種になっていた。そんな時に、クラスの子に「お前、クラスに全然貢献してないよな!」と、ぼそっと言われ、その言葉が胸に刺さった。その子が言ったことは、何も間違っておらず、余計に胸が痛くなった。けれど、その言葉が今までの自分を見つめ直すきっかけとなり、「クラスのことで何か自分にやれることはないのか」「クラスのことができない分、それ以外のところで全力で取り組めているか」と自分自身の行動を改めるようになった。空いてる時間はクラス内のゴミ拾いなどを行い、部活動や実行委員の活動の時にはできるだけ全力で取り組んだ。クラスに戻るとみんなが「おつかれっ」と声をかけてくれてみんなの温かさを感じた。この場を借りてみんなに言いたい、「ありがとう」。

 この文化祭の実行委員という仕事をやってみてつらいことや辞めたくなること、たくさんあった。けれど、文化祭を終えて、思ったことは、この仕事をやれてよかったという思いだ。文化祭が終わった時に、みんなが「楽しかった」とか「去年より最高だった」と言ってくれてよかった。安心。安心。

 実行委員にならないという選択肢はあったけど、私はあえてやってみた。何もやらない(普通に生きる)ことは、平凡で居心地が良くて簡単なことだと思う。でも、勇気と覚悟を持って一歩踏み出さなきゃ今まで通りの景色のままになる。自分が見たことのない景色を目の前にした時に、どのように思うのか。今まで自分が悩んでたことがちっぽけに思えるのか?それともどんなことを言われても傷つかないメンタルを持てるようになるのか?そんなことは見てみなきゃわかんない…新しいことにチャレンジして失敗して、たくさん学んで人として成長できるようにしたいと思う。

「りんごの絵を描いて下さい。」

ある日、先生が生徒に白い紙を配り、「今から、この紙にりんごの絵を描きなさい。」と言った。私は、りんごの形を頭に浮かべ、鉛筆を握った。絵を描くことは得意ではないが、意外にも簡単にりんごの絵を描くことができた。すると、先生は「今描いたりんごの絵の下に、好きな絵を描いて下さい。」と言った。「好きな絵を描いて下さい。」つまり、自由に絵を描いて良いということだ。しかし、何を描けば良いのかなかなか決まらない。自由を与えられているというのにだ。もちろん、先生に言われた通り、好きな絵を描けている人もいたが、頭を抱えている人の方が多くいた。すると、先生はこのようなことを言った。「顔を上げて聞いて下さい。皆さんは、与えられたことはできました。しかし、そこに自分で考えなければならないことが少し加わるとできなくなってしまいました。その差はとても小さいようで大きなものなのです。自分で考えることから逃げてはいけません。りんごだけしか描けない人にはならないで下さい。」

「自由」とは広大で美しい言葉でもある。だが、時に私たちを悩ませる存在にもなる。忘れてはいけないのは、自分自身が時間に追われている時のありがたさだ。やるべき事が明確に決まっている時。時間に余裕が無い時。実は、その時が一番の幸せだったりするのかもしれない。

いま成すべきこと。

2016年の7月1日の深夜、バングラデシュの首都

ダッカでテロ事件が起きた。とても前のことのように感じるが約二ヶ月前に起きた悲惨な事件

だ。この事件では七人の日本人が犠牲となった。

偶然にも、その中の一人は私の兄の幼なじみのお父さんで私は、とても衝撃を受けた。たまたま、仕事で訪れた地でテロに遭い命を落とすというのはなんて残酷なことだろうか。そして一番の被害者であるご家族はどのように思っただろ うか。まさか、このような事件に巻き込まれるとは思いもしなかっただろう…

 しかし、世界各地にはテレビでは放送されてい

ないだけで、このような事件は数多くある。そ

して、日本でもテロとは言わないものの、殺人

事件は日常茶判事のように起きている。残念な

ことに殺人事件のニュースが多く報道されるが

ゆえに、これらのことが習慣化してしまっての

も事実だ。しかし、これらのことから学ぶべき

ことは多くある。いつも目の前にいる人が明日

にはいなくなってしまうかもしれない。はたま

た、自分自身がいなくなってしまうかもしれな

い。いつ当事者になるかは誰もわからない。大

事なのは、いま成すべきことを真剣に考えるこ

とだ。一分一秒を無駄にせず生きていきたい。